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福岡地方裁判所小倉支部 昭和30年(ワ)527号 判決 1957年12月09日

原告 柳春淵

被告 国

訴訟代理人 小林定人 外一名

主文

被告は原告に対し金九十三万円及びこれに対する昭和二十八年六月十七日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその一を被告の負担としその余は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金六百三十三万八千一円及びこれに対する昭和二十八年六月十六日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

一、原告は、訴外黄善益の依頼により、かねて保管中の同人所有の別紙目録表示の物件(以下本件物件という)を韓国に居住する同人のもとへ輸送すべく荷造りし、その際、原告所有のカーボンブラック二樽をこれに合わせて梱包の上、門司港より発送しようとした。ところが、門司税関係官は、昭和二十三年三月十六日、右物件に関し原告に昭和二十一年勅令第二百七十七号違反の疑ありとし、その証拠物として右物件を差押え、昭和二十三年四月十三日、右事件を福岡地方検察庁小倉支部検察官(以下単に検察官という)に告発したので、右押収物は同庁に引継がれた。検察官は、同年八月二十一日、右事件を福岡地方裁判所小倉支部に起訴し、同裁判所は、審理の結果、昭和二十六年二月六日、原告に対し、右押収物中カーボンブラック二樽の輸出行為のみを有罪とし当該物件を没収する旨の判決を言渡し、右判決はその頃確定した。

しかるに、検察官は、昭和二十七年十二月十六日八本件物件につき、還付を受けるべきものの所在が不明であるとし、同日附官報をもつて、刑事訴訟法第四百九十九条第一項にもとづく公告をなし、その結果、同日より六カ月を経過せるも還付の請求なきものとして、昭和二十八年六月十六日、本件物件を国庫に帰属させ、昭和二十九年二月二十日、これを公売に付し金六十八万八千円にて売却し、黄善益はその所有権を喪失し原告に対する還付は不能となつた。

二、しかし、検察官が、本件物件を還付不能物として処理したことは、次の点において違法であり過失にもとづくものである。

(1)  前記原告に対する判決の確定により、本件物件に対する押収は解かれたのであるから、前記差押当時の直接占有者であつた原告は被押収者として当然その還付を受けるべきものであり、検察官は、これに対し還付の通知をなすべきにも拘らず、何等の通知もしなかつたこと。

(2)  原告は、訴外松村義一に対し、昭和二十七年八月初旬頃、検察官から本件物件の還付を受けることを委任し、同人は、検察官に対し、同年同月十二日、原告名義の押収物件還付願及び原告の印鑑証明書を添付した委任状を提出して還付を求めたところ、検察官は、松村の代理権が認められないとして右請求を却下した。しかし、押収物の還付を受けることは本人でなければできないものと解する根拠なく、右書面は松村の代理権を証明するに十分なるにも拘らず、右代理人の請求を斥けてこれに還付しなかつたこと。

(3)  およそ、検察官は、刑事訴訟法第四百九十九条第一項による公告をなす場合は、これにさきだち、押収物の還付を受けるべきものの所在を十分調査し、その不明であることを確認しなければならないのに、本件においては、原告の所在が大阪市東成区東小橋南之町二丁目百二十番地なることは記録に徴し明瞭なるにも拘らず、不注意にもこれを看過し、所在不明なるかの如く誤認して前記公告をなしたこと。

三、以上のとおり、黄善益は、検察官の故意又は過失にもとづく違法な処分により、本件物件に対する所有権を喪失し、もはや返還不能となり、その価格相当の損害を蒙つたのであるが、その損害額は、別紙目録価格欄表示のとおりで、合計金六百三十三万八千一円であり、右表示中一三八号の申請書和英文各一通の分はその作成に要した費用であり、その余のものはいずれも右損害発生時たる昭和二十八年六月十六日当時の価格である。

よつて、被告国は、黄善益に対し、検察官が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に黄善益に加えた右損害を賠償すべき義務がある。

しかして、原告は、黄善益から、昭和三十年八月九日、右損害賠償債権を譲り受け、同人は、被告の当時の代表者法務大臣花村四郎に対し、同年同月十二日到達の郵便により、右債権譲渡の通知をなした。よつて、原告は被告に対し、前記損害金六百三十三万八千一円及びこれに対する損害発生の日たる昭和二十八年六月十六日以降右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及んだのである。

なお、被告の抗弁事実は否認すると述べ、且つ、その主張に対し、次のとおり述べた。

(一)  仮に、被告主張の如く、検察官は、前記原告に対する判決確定後も黄善益に対する被疑事件の証拠物として本件物件に対する押収をつゞけていたもので、その後還付の決定をしたものであるとしても、そのときにおいても原告は還付を受けるべきものとなつたのであるから、少くとも、右還付決定後、原告に対し、前記通知をなすべきである。

(二)  また、仮に、被告主張の如く原告に対する所在調査がなされたとしても、それは原告に対する前記判決が誤つて住居と表示した原告の元住居である大阪市生野区北生野五丁目六十四番地につきなされたものにすぎない。もし、検察官において、少しく注意をなせば、前記公判係属中、原告提出にかかる住所変更届及び松村が検察庁に提出した前記書類等により、原告が右公判係属中より前記現住所に居住していることは、明瞭にこれを知り得るはずである。

(三)  仮に、本件物件の被押収者はその所有者黄善益であり、同人が還付を受けるべきものであるとしても、同人の住所は、本件物件差押目録及び告発書に記載してあり、これまた明瞭であるにも拘らず、検察官は、黄善益に対しても還付の通知をせず、所在調査もしていない。

(四)  更に、検察官は、前記原告に対する判決確定後も黄善益に対する前記被疑事件の証拠として本件物件の押収をつづけていたとの被告主張がそしのとおりだとすれば、その還付手続は刑事訴訟法第二百二十二条第一項第百二十三条第二項にもとづく仮還付手続によるべきであり、仮還付手続においては、同法第四百九十九条第一項の適用のないときは当然であるのに、検察官はこれを誤まり、同条にもとづく公告をなしたのである。

以上のとおり、いずれにしても、右公告は検察官の過失にもとづく違法なものである。

と述べた。

被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

一、原告主張事実中、第一項の事実は認めるが、その余の事実は否認する。本件物件は、原告並びに黄善益に対する前記勅令違反被疑事件の証拠物として、所有者たる黄善益から差押えたものであり、従つて、被押収者は黄善益であり、原告に対しては、その主張の日に公訴を提起したが、黄善益については、同人が当時国外に居住していたため、同日中止処分に付したのである。故に、本件物件は、前記原告に対する判決の確定により、原告に対する関係においては、押収が解かれたものの、検察官において、黄善益に対する右被疑事件を再起するまで、その証拠物として留置の必要があると認め、その後も押収をつゞけてけていたのである。

二、その後、本件物件については、差押後長時日を経過したが、黄善益は本邦に居住せず、当分の間起訴の見込がなかつたので、刑事訴訟法第二百二十二条第一項第百二十三条第一項により、事件の終結を待たずにこれを還付することとしたが、還付を受けるべき者である黄善益の所在を調査することは不可能の状態にあつたので、原告主張のとおり公告をなすに至つたのである。もつとも、これよりさき、昭和二十七年八月十四、五日頃、原告から本件物件の還付を受けることの委任を受けたという松村義一なる者が、原告の前記被告事件の弁護人であつた木下弁護士を通じ、検察官に対し、本件物件の還付を求めてきたが、検察官は、物件の価格が多額なものであるうえ、その際提出された押収物還付願及び委任状は、ともに、小倉市内の司法書士が作成したものであり、松村と原告との関係も不明であることなどの事情を考慮し、原告本人が出願すればこれを還付する旨を回答した。その後、同庁係官は、原告が出頭しないので、同弁護士に対し、原告と連絡し出頭せしめるよう促したが、原告の所在が不明で連絡できない旨の回答があり、また、念の為、大阪地方検察庁に対し、原告の所在捜査を依頼したところ同じく所在不明の回答があつた、検察官は、右の経過に照ちし、原告にもまた還付できないものと認め、前記公告の手続をとるに至つたもので、右処置は適法であり、検察官に何等の過失もない。

三、仮に、検察官の右処置が違法であり、何等かの過失があつたと認められ、被告に損害賠償の義務があるとしても、敍上の如く、検察官は、原告の代理人木下弁護士に対し、原告本人出頭のうえはこれを還付する旨を回答し、その出頭方を促したにも拘らず、原告は、出頭せずにこれを放置していたため、公告して国庫帰属の処置をとるに至つたのであるから、損害発生につき、原告にも過失があり、損害額を定めるにつき斟酌さるべきである。と述べた。

立証<省略>

理由

一、原告は、訴外黄善益の依頼により、かねて同人のため保管に係る同人所有の別紙目録表示の物件(以下本件物件という)を韓国に居住していた同人のもとに輸送すべく荷造りし、其の際原告所有のカーボンブラック二樽をこれに合わせて梱包の上、門司港より発送しようとしたところ、門司税関係官は、右物件に関し原告に昭和二十一年勅令第二百七十七号違反の疑ありとし、昭和二十三年三月十六日、その証拠物として右物件を差押え、同年四月十三日、右事件を福岡地方検察庁小倉支部の検察官(以下単に検察官という)に告発すると共に、右押収物件を同庁に引継ぎ、検察官は、同年八月二十一日、右事件につき原告を福岡地方裁判所小倉支部に起訴し、同裁判所は、審理の結果、昭和二十六年二月六日、原告に対し、右押収物件中カーボンブラック二樽を輸出しようとした行為のみを有罪とし、該物件を没収する旨の判決を言渡し、右判決はその頃確定したこと及び検察官は、昭和二十七年十二月十六日、本件物件に関し、還付を受けるべき者の所在が不明であるとして、同日附官報をもつて、刑事訴訟法第四百九十九条第一項にもとづぐ公告をなし、その結果、同日から六カ月の後たる昭和二十八年六月十六日の経過により、本件物件が国庫に帰属し、其の後公売せられてもはや還付不能である事実は、当事者間に争いがない。

二、そこで、まず、本件物件の押収並びに還付の手続の経過を検討する。成立に争いのない甲第一、八、九号証、第十号証の三乙第二、四号証、第六号証の一、二、原告本人訊問の結果によつて成立の認められる甲第十号証の一、二並びに証人田中史郎の証言、原告本人訊問の結果の各一部を綜合すると、本件物件は原告から差押えたものであり、従つて、被押収者は原告であること並びに門司税関は、原告に対する前記被疑事件に関する証拠物たらしめると同時に、黄善益に対する同事件の証拠物とするため、本件物件を差押えたのであり、且つ、原告と共に黄善益も告発したのであるが、検察官においては、黄善益が国外に居住していたので、前記原告起訴の日に、同人関係は中止処分とし、前記原告に対する判決確定後においても、黄善益に対する右事件を再起するまで、その証拠物としてなお本件物件を留置する必要ありとして、その押収をつゞけていたところ、原告は、訴外松村義一に対し、昭和二十七年八月初旬頃、印鑑及び印鑑証明を託して検察官から本件物件の還付を受けることを委任し、松村において、福岡地方検察庁小倉支部証拠品係長田中史郎に対し、同年同月十二日、原告名義の押収物件還付願、委任状及び右印鑑証明を提出して還付を求めたところ、同係長は、同庁庶務課長を通じ検察官の指示を受けたうえ、被告主張の如き理由により、松村の右請求には応じられないとして、右書類を受理しなかつたこと、更に、原告の前記被告事件の弁護人であつた木下弁護士は、右書類を検察官(同庁支部長)に提出し、重ねて松村に対し本件物件を還付して貰いたい旨申入れたところ、同検察官は、右弁護士に対し、原告本人が出頭しなければ還付できない旨回答したが、その後、原告が出頭しないので、同庁係官は、右弁護士の事務員に対し、原告が出頭するよう連絡して貰いたい旨促したけれども、原告がなおも出頭しなかつたので、検察官(黄善益に対する前記被疑事件の係検事)において、大阪地方検察庁に対し、同年十一月初旬頃、原告の所在調査を依頼したところ、所在不明の回答があり、他方当時本件物件の保管を委託されていた門司税関からは、本件物件を早急に引取つて貰いたい旨要請されていたので、右検察官は、還付を受けるべきものたる原告の所在不明と認め、これを理由に前記公告をなすに至つたことが認められる。

以上の事実に徴すれば、右検察官は、昭和二十七年八月中旬頃、原告の前記還付請求に応じなかつたものの、これを契機として検討した結果、黄善益に対する前記被疑事件は再起の見込がなく、本件物件は留置の必要がないものと認め、刑事訴訟法第二百二十二条第一項、第百二十三条第一項により、右事件の終結を待たず、その被押収者たる原告に還付することを決定したが、原告の所在を不明と認め、同法第四百九十九条第一項にもとづき公告をなすに至つたことが明らかである。

以上の認定を覆すに足る証拠なく、右認定に反する原被告の主張は、採用することができない。

三、次に、検察官が原告の前記還付請求を却下し、ひきつゞき刑事訴訟法第二百二十二条第一項、第百二十三条第一項の還付決定のうえ、原告の所在を不明と認め、同法第四百九十九条の公告をなしたことにつき、その適否並びに過失の有無について判断する。

前記認定の事実によれば、原告の本件物件の還付請求に対し、検察官(前記支部長)においては、頭初仮還付の可否を検討するまでもなく、還付請求についての前記松村の代理権を疑問とし、結局、右代理権を認めず、該請求を卸下したことが明らかである。そして、前記係検察官において、ひきつゞきいわゆる本還付決定をしたのである。このことからみれば、右却下の当時において、本件物件はすでに留置の必要はなかつたことを窺知し得るとしても、右は松村に対する還付を是認すべき理由とはならない。けだし、代理権を認め得ない限り、その請求を却下すべきは当然だからである。ところで、松村が原告より本件物件の還付につき委任を受けていたことは前記認定のとおりであるから、客観的には同人に還付すべきものであつたとしても、代理権の証明ができない限り、依然却下の危険は免れないものである。そこで、松村において、前記認定の如き印鑑証明書を添付した原告の委任状を差出したにも拘らず、検察官において、該代理権の存在を措信しなかつた点の当否であるが、右はむしろ原告本人の還付請求権を保全しようとするものであつて、被告主張の如き事情のもとにおいては、確実を期そうとする限り、やむを得ない措置というべく、このこと自体をもつて違法過失の瑕疵ありと非難することは相当でない。

更に、原告の所在を不明と認定した点を考察するに、前記係検察官が、大阪地方検察庁に原告の所在調査を依頼したところ、同庁から所在不明の回答があつたことは、(前記認定のとおりであるが、前掲甲第十号証の一、二、三及び成立に争いのない甲第五号証、第六号証の二、第十四号証の一乃至十五、第十五号証の一、二、第十六号証の一、二、第十七号証の一乃至六第十八号証の一乃至四、乙第二、三号証並びに原告本人訊問の結果を綜合すると、原告は、前記起訴当時大阪市生野区北生野五丁目六十四番地に居住していたが、右公判係属中の昭和二十五年五月三十日、同市東成区東小橋南之町二丁目百二十番地に転居し、同年十二月八日、その旨の届出書を右公判裁判所に提出し、以後現在まで、同所において、柳屋なる看板を掲げて衣料雑貨商を営んできたのであり、本件物件還付に関し、検察官に提出した前記書類にはいずれも右現住所が表示してあるから、前記係検察官は、記録上容易に原告の右住所を知ることができたのであるが、前記原告に対する判決に右元住所が表示されてあつたため、誤つて原告の右元住所につき前記所在調査依頼をなしたことが窺知され、右認定に反する証人田中史郎の証言は措信しない。そうであるならば、検察官において、記録上明白な原告の現住所宛還付通知をなすべきであり、右所在調査依頼をなす必要もなかつたわけである。この点に関し、被告は検察官は原告の代理人木下弁護士に対し還付通知をなしたところ、同弁護士から原告の所在が不明で連絡できぬ旨の回答があつたと主張するが、前記認定の如く、同弁護士においては、検察官に対し、原告の松村に対する委任状を提出し、同人に還付して貰いたい旨申入れた事実及び原告本人が訊問の結果を合わせ考えると、同弁護士は、単に原告の前記被告事件の弁護人であつた関係で、松村の前記還付請求を取次いだに止まり、原告の代理人として検察官に還付請求をなしたものでないことが明らかである。のみならず、前記認定の如く還付決定はその後になされたものであるから、右の段階において還付通知をなすことはあり得ない。また、証人田中史郎の証言によれば、同人から木下弁護士の事務員に対し原告が出頭するよう連絡してくれと促したのに対する回答は、原告は北海道旅行中又は病気中で出頭できないという趣旨のものであつたことが認められるから、被告の右主張は採用し難い。

以上の事実に徴すると、前記公告当時、原告の住所は記録上明白であつて、所在不明ではなかつたのに、右公告をなしたことは刑事訴訟法第四百九十九条所定の適法要件を欠く違法な処置であり、前記係検察官がこれを看過し、更に、その所在調査をするにあたつても原告の元住所につきこれをなしたことは過失によるものといわねばならない。

そうだとすれば、黄善益が右公告の結果、法定期間の経過により本件物件の所有権を喪失し、これによつて蒙つた損害は、右検察官の過失にもとづく違法な職務執行により発生したものであり、被告は、これを賠償すべき義務を免れない。

四、そこで、すでに右損害について審究する。

原告は、本件物件中申請書二通の作成費用及びその余の物件の右損害発生当時の価格は、別紙目録の各価格欄表示のとおりで、合計金六百三十三万八千一円であると主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

昭和二十九年二月二十日、本件物件が公売に付され、金六十八万八千円で売却されたことは当事者間に争いなく、証人細井一彦、田中篤、安藤健一、岸田峰吉、中谷正二郎の各証言及び原告本人訊問の結果を綜合すると、本件物件の大部分は、黄善益が今次大戦前大阪市内で経営していた鉄工所において使用していた機械類であるが、このように、戦前に製作された機械は、戦後においては、その規格等が変つているため、機械類として売買することは因難であり、特に本件の場合の如く、長期間手入れもせずに放置していたものは、錆が生じ、機械として使用し得ないものとなるため、スクラップとして取引されるほかなく、前記公売の際にも、入札者は、すべてスクラップとして評価して入札したこと及び本件物件は、右公売後短期間内に古鉄業者間において転売され、結局金九十三万円で取引されたことが認められる。

以上の事実を綜合すれば、本件物件の昭和二十八年六月十六日当時の価格は、金九十三万円と認めるを相当とする。

なお、成立に争いのない甲第三号証及び証人細井一彦の証言によれば、門司税関係官は、申請書二通を除く本件物件の昭和二十三年四月二十日当時の価格を合計金百万四千八百七十六円七十五銭と評価しているが、右は機械類としての評価であり、前示認定の如く、その後五年近い時日が経過した損害発生時においては、スクラップとして取引するのほかなき本件物件については、右評価額をもつて本件損害額算定の資料とすることはできず、ほかに前記認定を左右する証拠はない。

被告は、右損害の発生につき、原告にも過失があると抗争する。なるほど、前記公告までに或いは本件物件が国庫に帰属するまでに、原告本人が検察官のもとに出頭すれば、その還付を受けることができ、従つて、右損害は生じなかつたことは、前記認定の事実に照らし明らかであるが、原告は代理人松村により右還付請求をしているのに対し、留置の必要なき限り被押収者に還付すべき義務を負う検察官においては、その後還付決定をしながら、その通知をしなかつたこと前記認定のとおりであるから、原告に対し、その通知なきに拘らず更に検察官のもとに出頭すべきことを要求するのは公平に反し、原告に過失ありとは認め難く、ほかに被告の右抗弁事実を立証するに足る証拠はない。

五、成立に争いのない甲第十二号証の二、第十三号証の二、原告本人訊問の結果によつて成立が認めろれる甲第十一号証、郵便官署作成部分の成立に争いなく、その余の部分については弁論の全趣旨によつて成立が認められる甲第十二号証の一、弁論の全趣旨によつて成立が認められる甲第十三号証の一によれば、黄善益は、原告に対し、昭和三十年八月九日、被告に対する前記損害賠償債権を譲渡し、黄善益の代理人小林昶は、同年同月一十二日到達の内容証明郵便により、当時の被告代表者法務大臣花村四郎に対し、右債権譲渡の通知をなした事実を認めることができる。

六、以上の次第であるから、被告は、原告に対し、前記金九十三万円及びこれに対する昭和二十八年六月十七日以降右完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の請求は、右の限度において正当であるから認容し、その余はこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条本文を適用し、仮執行の宣言はその必要がないものと認め、主文のとおり判決する。

(裁判官 古賀俊郎 平田勝雅 伊沢行夫)

目録<省略>

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